ヤマトタケルは天皇だったのか

ヤマトタケルは第12代景行天皇の息子として生まれた。時代は推定3世紀末から4世紀前半の話です。
古事記では「倭建命(ヤマトタケルノミコト)・倭男具那命(ヤマトオグナノミコト)」、日本書紀では「日本武尊」と表記されています。

若くして勇敢だった皇子が、非業の死を遂げる伝承が英雄叙情詩として語られ、人々に強い印象を与える。だがヤマトタケルは天皇だったともいわれる。それは古事記に幸(いでます)・崩(かむあがる)・詔(みことのり)など天皇に対する敬語表現があることと、常陸風土記や阿波国風土記に倭建天皇(すめらみこと)とあることからである。大和の権力を広げていった英雄が夭折し皇子のまま悲劇を迎えたことがより印象深く、古事記や日本書紀に皇子のままになったかもしれない。息子は仲哀天皇、その妻が実在を疑われる神功皇后だということから実在も疑われている。私自身、神功皇后は伝説の人物と思っていたが、福岡の香椎宮(かしいぐう)を訪ねたときその空気から仲哀天皇も神功皇后も実在したのではないかと感じた。特に仲哀天皇行在所の空気は重く寂しく長くはいられない気がした。重い空気は神のご信託を信じなかったため神に誅された天皇だからか。

 

【愛知県】

尾張戸神社

〒489-0901 愛知県名古屋市守山区十軒町 489-0901, 東谷-845

東谷山(とうごくさん)にあり、古代の磐座が多くある。


熱田神宮

〒456-0031 愛知県名古屋市熱田区

ミヤズヒメと結婚し、しばらく名古屋に滞在したタケルは精力的に動いている。


知立神社

〒472-0023 愛知県知立市西町神田神田12

矢作神社

〒444-0943 愛知県岡崎市矢作町宝珠庵1

矢を矧(は)いだ


菅生神社

〒444-0052 愛知県岡崎市康生町630−1

矢を小川に吹き流した


蘇美天神社

〒444-0127 愛知県額田郡幸田町須美元屋敷


法蔵寺

〒444-3505 愛知県岡崎市本宿町寺山1

泉が湧き家康は賀正水といわれたその水で墨をすった。
行基開基と伝わり、近藤勇の首塚がある。


七所社

〒453-0862 愛知県名古屋市中村区岩塚町上小路7
一宮市戸塚の砥塚(とぎづか)、巨岩が多く刀を磨いたという。
羽島には八剣神社が五社ある。
坂井の霊泉で休息とある。
のちにオトタチバナヒメの稚武彦が宮を造ったという。


八剣神社

〒493-0007 愛知県一宮市木曽川町外割田宮廻


白鳥神社

〒470-0151 愛知県愛知郡東郷町諸輪中市 大字諸輪字中市165

倭姫も休憩している。


白鳥

〒470-0155 愛知県愛知郡東郷町

白鳥(揖斐川西の池田町)で下船した。


【滋賀県】

雲雀山

〒526-0257 滋賀県長浜市山ノ前町 雲雀山

雲雀山に陣をおく。


ヤマトタケル像

〒521-0035 滋賀県米原市醒井


建部大社(済)

〒520-2132 滋賀県大津市神領1丁目16 神領1丁目16−1


磯崎神社

〒521-0004 滋賀県米原市磯 米原市磯2484

磯崎神社(米原)はヤマトタケルが亡くなった地であるという伝承がある。
この地は鉄の生産がさかんで息長氏の領地である。
伊吹山の荒ぶる神とは鉄の争奪戦のことか・・
伊吹山から離れている場所なので最期の決戦が伊吹山だったのか。
あと薬草の多い地で古代からこのあたりは
トリカブトを鏃の先に塗ったという。


伊吹山の神の氷雨に正気を失い、

重体のヤマトタケルは玉集落にひとまず引き上げる。

【岐阜県】

桜井白鳥神社

〒503-1242 岐阜県養老郡養老町桜井479


白鳥

〒503-2413 岐阜県揖斐郡池田町白鳥

水が甘いので桜井となった。
このあたりで多度まで船でいったかもしれない。


天王神社

呂久 瑞穂市 岐阜県 501-0324


【三重県】

井田川駅


能褒野神社

〒519-0213 三重県亀山市田村町1409


能褒野大塚古墳(日本武尊御墓)

〒519-0213 三重県亀山市田村町


白鳥塚古墳

〒513-0018 三重県鈴鹿市上田町


国指定史跡 王塚古墳

〒519-0100 三重県鈴鹿市国府町 亀山市


双児塚古墳

〒519-0314 三重県鈴鹿市長澤町2527


日本武尊尾津前御遺跡

〒511-0118 三重県桑名市多度町御衣野2222


尾津神社

〒511-0105 三重県桑名市多度町小山1915

尾津神社(多度の戸津)で下船。


平群神社

〒511-0937 三重県桑名市志知3693


杖衝坂

〒510-0954 三重県四日市市釆女町3464

杖衝坂で足が三重になるほど疲れ血の付いた石を積んだ血塚社がある。


加佐登神社

〒513-0003 三重県鈴鹿市加佐登町2012

加佐登神社ではタケルの陵墓といわれる白鳥塚古墳の横にあり最期まで所持したという笠と杖が祀られる。
白鳥塚古墳は本居宣長が、ここが陵墓と提唱した。
しかし明治になって亀山の能褒野が比定された。


最後に
ヤマトタケルの残虐な伝承を否定する場所がある。
多治見市の柿野神社は兄を訪ねてタケルが牛でやってきたという伝承がある。

兄に別れを告げにきたのか、兄は自分の家来を東征に随行させている。
タケルの死後土岐市鶴里柿野に移り住み、タケルの死から10年後にまた移り住んだ猿投で亡くなったという。

猿投神社は大碓を祀り左利きだったため左利きの鎌が奉納される。
猿投山で42歳のとき毒蛇にかまれ亡くなったという。
父の景行天皇から兄を隠したのか、兄はこの地をタケルの死後拝領したのかわからない。
大碓の妻は景行天皇から奪った姫だとすると、姫の父は現在の美濃加茂市を拝領しておりそこも近くにある。
妻の実家の援助でこのあたりに隠棲したとも考えられる。
大碓の墓は猿投神社にある。