コンチワ!コンチワ!コンチワ!
関西の神社と言えば京都や奈良に後は和歌山のイメージが強い”Mr.ゼットン”です。

が、兵庫県にも意外と神社やお寺さんは多いと言うか日本全国神社やお寺さんだらけなんですよね。
ただ知名度があるかないかは別として。
知名度のある神社とない神社とは何が違うのでしょうか?
大きく綺麗でイベントがあるたびに全国から人が押し寄せ物品を売る神社と地域に密着して散歩のついでにお年寄りが手を合わせるイメージ神社。
何が違うのでしょうか?
八百万神(やおよろずのかみ)とはよく言ったもんです。

 

生田神社

所在地: 〒650-0011 兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2−1

電話: 078-321-3851

生田神社は、兵庫県神戸市中央区下山手通一丁目にある神社である。式内社で、旧社格は官幣中社。同じ兵庫県内の廣田神社・長田神社とともに神功皇后以来の歴史を有する。 かつて、現在の神戸市中央区の一帯が社領であり、これが「神戸」という地名の語源となる。地元では「生田さん」として親しまれている。 ウィキペディア

歴史

201年に神功皇后の三韓外征の帰途、神戸港で船が進まなくなった為神占を行った所、稚日女尊が現れ「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ。(=私は“いくた”の“ながさの国”におりたいのです。“うなかみのいそさち”に命じて生田の土地に祀らせてほしい)。」との神託があったと日本書紀に記されている。

当初は、現在の新神戸駅の奥にある布引山(砂山(いさごやま))に祀られていた。799年(延暦18年)4月9日の大洪水により砂山の麓が崩れ、山全体が崩壊するおそれがあったため、村人の刀祢七太夫が祠から御神体を持ち帰り、その8日後に現在地にある生田の森に移転したといわれている。

平城天皇の806年(大同元年)には「生田の神封四十四戸」と古書には記され、現在の神戸市中央区の一帯が社領であった所から、神地神戸(かんべ)の神戸(かんべ)がこの地の呼称となり中世には紺戸(こんべ)、近年に神戸(こうべ)と呼ばれるようになった。

神階は859年(貞観元年)に従一位に昇進した。延喜式神名帳では「摂津国八部郡 生田神社」と記載され、名神大社に列し、月次・相甞・新甞の幣帛に預ると記されている。

近代社格制度のもとで1871年(明治4年)に県社に列格し、その後1885年(明治18年)に明治天皇の西国巡幸の際、初めて官幣社に列し官幣小社に、1896年(明治29年)には官幣中社に昇格した。

社殿は、1938年(昭和13年)の神戸大水害・1945年(昭和20年)の神戸大空襲・1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災など何度も災害などの被害にあい、そのつど復興されてきたことから、「蘇る神」としての崇敬も受けるようになっている。

 

 

 

旅をすること・・・人と出会うこと・・・
歴史を知ること・・・は
その後自分自身に必ずおとずれる
正しい選択の為の訓練です。

美しいモノをより美しく観る為に・・・
敬愛する人をより尊敬できるように・・・
大切な時間をより大切にすごす為に・・・

そして人生をより感動できるように・・・

人は旅に出ます。

【 Life On The Road (ライフ オン ザ ロード】