人が、時間をかけたり、手をかけたりすることを、
なんとか減らせないかと考え人は機械を発達させた。
なにをするにも手間ひまをかけていたら、
やりたいこともできないまま、日々が過ぎていくことになってしまう。
日々というだけじゃない、一生が費えてしまう。
もっと、やりたいことがあるだろう。
「人間はそれをしなさい」と機械がどんどん働いてさしあげますから‥‥。
機械は、人間よりも上手にものをつくってくれた。
バラつきのないものを人よりもずっと速くつくってくれた。
そして、機械は、機械をつくってくれるようになり、
さらに、人が頭を使ってやるようなことも、
ずっと速く正確にやってくれるようになった。
文句も言わずによく働いてくれる
機械という奴隷のおかげで。。。
量産化された機械はたくさんの人の手に渡った、
そして、しかたなく時間をかけてやっている労働から、人びとを解放してくれた。
ここまでは、いいことづくめのように思えるのですが、
なかなかそうはいかないものでした。
「手間ひま」を人間がかける仕事を、機械が引き受けてくれたものですから、
機械にできない仕事を探さなくてはならなくなりました。
機械に仕事を奪われたと言うけれど、
それは、人間が「したくない」と思ってた仕事ですよね?
機械に渡した仕事のなかに、 ほんとうは、じぶんでやりたい仕事が混じっていたのか。
それとも、機械がやっているのをみて、人がやったほうがおもしろいかも、と思ったのか。
ぼくには、よく説明はできません。
よくわかるのは、人が手間ひまかけてつくったものを、「つくれたらいいなぁ」と思ったり、
「それなら、ほしいなぁ」と思ったりしているじぶんという人間の気持ちです。